世の中紙一重

 

我輩は腐女子である。堂々とは出来ない。

 

私は腐女子って純粋に気持ち悪いと思っている。いや、客観的に見ての話で、別に性癖だし個人の趣味嗜好だし言うたら、熟女モノとか近親相姦とかロリ好きですなんて言ってるようなのとなんら変わりがない。健全ちゃあ健全である。でもそれは両脚突っ込んでるくらいの人が言えることであって、頭までどっぷり浸かっている人は一般的にはマイノリティなのかなって思う。

 

上記の言い方だと語弊があるな。あくまで腐女子全員が気持ち悪いって言っているのではなく、戻れないところまで来てしまった人が「腐女子」を堂々と名乗っているのが気持ち悪いと思うってことが伝えたい。そんなことないって思う人もいると思うけど、深く知りたい人は個人的に私に聞きに来て欲しい。気持ち悪いって思うよ。思わなくても否定はしないけど肯定もしないって感じになるんじゃないかな。

 

だから腐女子を堂々と公言している人はぶっ飛んでるか、まだそこまでこちらの世界に踏み入れてないかのどちらかなのかなって思う。

 

腐女子だけじゃなくてオタクも一線越えるとたしかに気持ち悪い。大多数の人間がオタクを「気持ち悪い」って言う理由も何となくわかる。好きなことを語るときに興奮して早口になるのも、はぁはぁするのもちょっと気持ち悪い。でも好きなことを突き詰めて、目を輝かせながら語れるモノがあることに私は畏敬の念を

抱く。別に早口になろうが興奮してはぁはぁしようが好きなことを好きなだけ語っている姿は美しいとさえ感じるよ。デブは人権ないから論外だけど。

 

人生の中で自分がこれなら他の人に負けないくらい好きとか、語れるとかそう言うのある純粋にの凄くない??

前の会社で交友と仕事の話をする為に結構色んな人たちとサシで飲みに行ったりしたけど、正味何も趣味ない人、語れない人多かった。好きだけど別にそこまで追求してないみたいな。

一番驚いたのは「小説読むのが趣味」って言ってた人に小説の話をしたら全然知らなくて話が全く盛り上がらなかったこと。別に趣味の定義は人それぞれ違うから仕方ないんだけどさ。私の定義に当てはまらなかったから、全然美しくなかったし、尊敬もできなかった。

 

世の中さ、気持ち悪いと凄いは紙一重であるように、SとMも紙一重だし、優しさと残酷さも喜びと悲しみも生と死も全部紙一重紙一重の正しい言葉の意味知ってる?「紙一枚の厚さほどの、僅かな違い」なんだって。簡単に言えば表と裏で、ほぼ違いなんてないんじゃない。だからこそ人の気持ちを大切にしたいね。どうして裏じゃなくて表を選んで、逆に表ではなく裏を選んで、表になってしまって、裏になってしまったのか。

 

考えたらキリないし、ただ自分が病むだけなんだけど、だから全員が表としてることをそのまま素直に受け止められればそれで十分だったりして。付随して、何が正しいとかも自分で決めればいいよ。本当の自分が分からないとかも、皆んなから見てくれている自分が本当の自分だし、別に他の自分がいようがいまいが、どっちも自分でそれを知ってるのも全部自分なんだから、それでいい。深く考える必要はないし、引っくるめて受け止めればいい。

ってこれは昔から自分に言い聞かせてる言葉である。案外というか、私は幼い頃に土台をしっかり作らなかったからとても脆い。脆いから自己暗示して補強していかないと根っこから倒れる。それが所謂メンヘラってやつで、今後もうまく付き合ってイコーゼyeahってそいつと肩組んでやってきた。

 

話の執着地点がちょっと分からなくなったと思うんだけど、私的には今後も優しい人間でありたいってところに帰着している。優しい人間であるから、世界も私に優しくしてほしい。なんてね。

おやすみ。