としのせ

 

2020年があと数時間で終わってしまう。去年も同じ様な事を呟いた気がするけど、きっともう何年も前から終わりの前は「もう終わるのか」と口にしている気もする。毎年そんな事も忘れて、これからも飽きもせず同じ事を考えるのだろう。

年末は好きだ。やっと終わると言うゴール地点に感じられる。逆に年始が苦手だ。また始まるとスタート地点に感じてしまうから。年末年始と一括りにされる事が多いけれど、私にとっては大きく違うのだ。

 

今年はどんな事があったかな。

1月 仕事はあまり忙しくなかったな。特に大きな思い出もなかったかな。カメラロールみると、よくディズニーに行ったっぽい。

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2月 ディズニーの年パスを買うも、末でコロナの影響で休園になって行けなくなった。もしかしたら今年一ショックな出来事だったと思う。休園になる前に、会社の同期達とディズニーに行けて良かったな。

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3月 お兄ちゃんがお家を買って、引っ越しのお手伝いをした。久しぶりにお兄ちゃんと結構話した。ほぼ他人みたいなもんだったけれど、話すと同じ環境で育ったんだなと思う言葉遣いや、行動が随所にあった。恋人に「くずまるは卵かけご飯食べてるイメージしかないけど、ちゃんとご飯作ってる?」って聞いて「毎朝目玉焼きと納豆ご飯出してくれますよ」って。そしたら「嫌だったら早目に言った方が良いよ」ってアドバイスしてたのが面白すぎた。

 

4月 コロナが本格化して、会社では自宅待機と言う名の休みが与えられた。ただ業務量は減らないのでただただ苦しいだけだったのを覚えている。

 

5月 GW休暇で恋人の実家に行きたかったけど、コロナで断念。どこにも旅行に行けず自宅待機のみ。とっってもつまらなかったけど、恋人が居たから毎日楽しかった。因みにまだ同棲はしていなかったけど、付き合い始めてから別々のお歌で寝るって事はしてなかった。

 

6月 同棲した方が良いのでは?となり、物件を探しに行った。見に行ったその日に決めてしまったので、親には事後報告。お母ちゃんは「本当...色々あったけど、そばに居てくれる人がいて良かったね、毎日頑張ってたもんね」って泣いてた。安心させる事が出来たのだろうか。荷造りは超楽しかった。

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7月 引っ越して同棲が始まった。楽しすぎて楽しかったという思い出しかない。因みに付き合ってから1年4ヶ月になるけど、喧嘩した事ない。私も恋人も「怒」って感情が乏しく喧嘩にならない。ムカつく事はお互いあるけど、直して欲しいとか、言わなくても分かってとか、そう言う期待をしていない(お互いに私生活がポンコツ)ので、特にイライラが継続する事もない。平和である。

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8月 平和に過ごした。このくらいだったかな。仕事のストレスが凄くて胃カメラを初めて飲んだ。気持ちよかった。

 

9月〜10月 仕事が忙し過ぎて何もない。唯一の記憶は誕生日。28歳。おばさんだなとつくづく思う。人間性で勝負していく年齢になってきた。人間性を磨いていきたい。素敵な女性になる。

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11月 苦労した物件を見に行った。感動した(10月に見に行った気がするけどまぁいいや)。

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12月 サンタさんが再開のプレゼントをくれたのが1番嬉しかった。今年1、嬉しかった。もう一生お話し出来ないものだと思ってた。自分がどんなに関わりたいと思っていても、どうにもならない事もあると思っていたけれど、願えば叶う事もあるのだと思った。

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振り返ると、今年は色々と人間として勉強になる事が多かったな。良くも悪くも。年齢を重ねる度に、人間性を見られる様になるから、相応の人間になれたらいい。まだまだ私は子供で、足らない所ばかりだけれど、1年前の自分より少しはマシになっていると思う。高望みせず、不完全な自身を受け入れ、その上で成長出来ればいい。死にたくねぇな。まだ。

来年も続いていく人生を大事に抱えていきたいし、自分の大切にしたい人達の人生も、少しは抱えられたらと思う。

 

 

おしまい。

またらいねん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢のはなし

 

このページを開いて全てを書き切るまで大分時間がかかった。それほど最近は自分の思考を文字に託すと言うことをしていないのだと、思い知らされる。

 

今日みた夢のはなしなのですが、去年の暮れに死んだ同級生が出てきた。思い悩んでいるようで、声をかけると「人生に悩んでいる」と返ってきた。そっか〜私もそういう時あるなと呟くと、文字にするなりTwitterに書きなよ。見守ってるからさ。って言われた所で起きた。

別に存命中に仲良かったわけでもないし、そう言う会話をした事があるわけでもないし、そういう間柄でもないけど、「見守ってるからさ」と言われたので、もしかしてこうやって文字にしたら見てるんだろうかと、そう思って今こうして文字にしているわけだけども。

思い出といえば、小学生の頃にお腹を思い切り殴られた事とか、「俺可愛い子しか優しくしない」と投げ捨てられた事とか。兎に角良い思い出はなかったけど、大学入ってからも小学生の時と変わらず下の名前で呼んでくれたり、良いなと言った歌手のCDをわざわざバイト先まで届けてくれた事は、良いところもあるんだと驚いた記憶は鮮明に残っている。

死んだと聞いた時はよく分からなかったし、何年も会ってなかったから正直少し驚いたくらいだったけど、今思うと今後一切新しい記憶が残らない事はとてと悲しい事なのかもしれない。

 

性懲りもなく死について考える。親もあと20年もしないうちにきっと死んでしまう。その前に私自身が何かをきっかけに死んでしまうかもしれない。無駄だなと思うものは積極的に避けていかないと、あっという間に人生なんて終わってしまうのだろうな。

 

社会人になって付き合ってた人と4ヶ月同棲してたけど、あの期間ほとんど幸せな時間なんてなくてなんて無駄なんだろうと思った。振ってくれないかったから私から出て行くと言って出ていったけど、今考えても、今後考えても人生で最も無駄な時間だと思う。まぁきっと私には必要だったんだろうけど。

 

そう言えば最近鬼滅を読んだ。客観的に見ると文字が大きくて読みやすい。話しが難しくなくてわかりやすい。一人一人にストーリーがあってそれがまぁ泣ける。良くある話しと言われたらそうなのだけど、キャラの性格があるからそれ込みで考えると面白味が増した。

主観的に見るともうまじで皆んな好き。尊い。しか出てこない(語彙力)。あと感情移入がし易いのかな。親や兄弟、戦友、親友。それぞれある気がする。私は映画でも漫画でも、ヒトからの話でもなんでもすぐ感情移入しちゃうから、チョロい。

 

感情移入とは少し違うかもしれないのだけど、前監督達と呑み行った時に、部下の監督を叱った話になった。内容が、一緒の車に乗っている時に目の前の古い車を運転する老夫婦を見て

何を思う?って聞いたら「割と古めの車だな...としか」と返されて、想像力がないと叱ったそう。

監督が言うには「あの老夫婦は、そこまで裕福ではないから自分達は贅沢せずに子供達に使って、やっと子供達が手を離れたから昔手に入れた思い出の車に乗って2人で過ごしてるんだわ」って言ってて、想像力豊かすぎるしこんなんで怒られた部下めっちゃ可哀想だなと思った。けど、人生にはそういう想像力も必要なのかもしれない。

身なりや言動からこの人がどんな人生を過ごしてきて、今どんな生活をしているかで関わり方が変わるのかもしれない。関わる事自体が無駄だと思っても、思いもよらず自分の利益になったり人生を豊かにするかもしれない。

けど無理に関わる必要はなくて、関わりたい人、関わりたくない人は自分で決めれば良い。そういう権利を持っている。

 

身の回りの人や、芸能人が死ぬ事が多かった今年は、より一層幸せに生きてやろうという私の気持ちを大きくさせた。見守ってくれてるっぽいしそれが正解な気がする。ヒトからみたらそれが浅はかな考えに見えるかもしれない。けどそれはそれで良いや。別に多分そこまで深くも考えてない。ただただ自分が思う苦痛な時間をなるべく減らしてあげたいと思う。自由に楽しく生きような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝啓

 

お元気でしょうか?私は元気に過ごしております。半年くらい前からTwitterから離れ、もうTwitter依存症とは言えない人生になりました。住む世界がTwitterだけだったけど、リアルにも私の住む場所が出来たようです。喜んでください。

 

キミが居なくなった年、私もストーカーやらなんやらで精神的にも肉体的にも限界が近かった時でした。お互いに大変だったね。いいや、今もまだなお、もしかしたら大変なのかもしれない。そんな大きな事から些細な事まで知る術がなくなってしまって2年が経ちました。早かったような、長かったような、相応だったような。

そんな事よりも、キミが居なくなってからの2年間の話をしよう。まずは仕事。パチンコ店はその年の秋くらいに退社しました。色々な人が止めてくれたし、色々な人が惜しんでくれて、私の存在価値を身を持って実感出来た時間でした。周りは社交辞令や、嘘が入っていたかもしれないけれど、それでも僕はとっても嬉しかったです。それまで自分のやってきた事が正しいのかも分からず走ってきたけど、漸く間違っていなかったと思う事が出来ました。もしかしたら、ストーカーとか無ければ結局辞めずにまだ続けていたかもしれません。

新しい職業は某建築メーカーでインテリア関係をしています。キミの職業は建築関係でしたよね?細かくは知らないけれど、そう言う話もしたかったな。まぁそんな事は置いておいて、そこで私はまた頑張って働いています。もう二度と仕事なんて頑張らないと誓っていたけれど、頑張らない事の方が難しいようで、日々失敗と後悔を重ねながら精進しています。従業員にも恵まれたと思っていて、愚痴は出るけども、とっても良い人達ばかりで転職して良かったと心から思っています。

 

転職して気付いた事が何点かあって、まずは身体が思った以上に弱い事。前の職ではそんな事なかったのにと思っていましたが、動けなくて早退したり、休憩室やカウンター裏で休ませてもらったりとフラフラな状態でやっていたなと自覚しました。次に仕事のモチベーションを人に置いてしまう事。前職踏ん張れていたのはそこが大きかった。認められたい、褒められたい一心で走ってきたけど、今の職はそれがないのでモチベーションの維持が難しです。因みにこれは昨日気がつきました。

 

次に精神。これはずっとずっと安定に不安定をしています。でも前より遥かに落ち込む事は減りました。人生や世界に絶望し、全てを終わらせたいと思う事も殆ど無くなりました。2年前も、言ったら1年前も家のトイレで蹲りながら咽び泣き晴らしていました。何故かそうなるのがトイレの中でした。笑っちゃうね。

キミと出会ったのが19歳の頃で、20歳になったら死ぬと呟いていたけど、結局21歳の誕生日を迎えてしまった時。この年まで生きてしまったと呟いたら「21歳まで生きていてくれてありがとう」とリプをくれた事を僕は忘れません。なんならスクショしてカメラロールの中にまだ残っています。そんな僕も今年の誕生日を迎えると28歳になります。もう死にたい気持ちはありません。癖で「死にたい」と思う事はあっても直に訂正します。もしかしたら、まだ連絡が取れていたとしても、こんな事を言ったら「役目は終わった」とか言ってキミは何処かへ消えていた気もします。

 

話は少し変わるのだけれど、キミが会わせてくれたかわかわガールとは今でも仲良くやっています。会わせてくれてありがとう。こんな年齢になってからでも友達が出来て嬉しかったです。

余談は続いて、Twitterでキミのことを忘れずに覚えていてくれている人は沢山います。キミと出会った年と同じくらいに出会った人達で、未だにTwitterで繋がっていてくれています。あの頃はTwitterが楽しくて仕方なかったね。意味わからないくらい多分皆んな寝てなかったし、心に何かしら抱えていて吐露していた。ような気がする。そんな人達と毎日のように話すのが好きだった。楽しかったね。楽しかったな。

 

話を戻すのだけれど、精神が安定したのは恋人の存在が大きいです。去年の9月頃から付き合い始めた人で、歳下の後輩です。正直、恋人の話をするのは少し恥ずかしいのだけれど、喜んで聞いてくれている所を想像しながら話します。

付き合う前、私がどんなに連絡返さなくても、次の日の朝には「おはよう」って連絡きて、酷い言葉とかも投げてしまい、性格が変わるくらい傷付けてしまった事もあるのだけど「こっちの性格の方が俺は好きだし」ってとっても前向きで。あと行動力が凄かった。行きたいと言った場所にはレンタカーまでして連れてってくれました。ただ連れて行くだけではなく、自分はこれがしたいと主張し、一緒に楽しいを探してくれている所がとても良かったです。

あと何よりなんでも笑ってくれるところが大好きです。くだらない会話でも付き合ってくれますし、ボケた後の突っ込みが私の欲してる突っ込み方で話していて心地が良いです。よくキミが使っていた「脳電波」もお互いに受信しあっている気がします。

初めて両親にも紹介をしました。27歳になって初めて実家に恋人を連れて行きました。お父さんは想像以上にニヤニヤしていて「緊張しなくて良いんだよ」とか言っていて逆に私が緊張しました。

そうだ、少し家族の話をさせてください。2年前に親と喧嘩しました。限界だったのもあり、いつも通りヘラヘラ出来ず号泣しながら「だからこんな家に帰りたくなかったんだよ」と叫んでしまいました。そこから3歳の頃に叩かれた事がトラウマだった事、いい子でいなければという切迫感があった事、鬱だった事など話して両親とも泣かせてしまいました。本来、こんな事は学生の頃にぶつかって話して、だんだん家族の絆が固くなっていくのでしょうけど、私はあまりに遅く、こんな歳になって初めて親に本心を話しました。

その日から私も変わる努力をする様になりました。家族が分からなかったし、憎かったし、一緒にいてしんどいものでしたが、少しづつではありますが「家族」の意味を学んで行っています。

そんな家族に、恋人を紹介したのです。とっても進歩したと思いませんか。その日、兄夫婦、家族でボーリングに行ったのですが泣いてしまうくらい楽しかったです。それもこれも恋人が居てくれたからです。

こんな円満な感じで話していますが、付き合って3ヶ月くらいは私の情緒が不安定過ぎて恋人も大変だったと思います。泣き喚き、引っ掻き、噛み、首を絞めしようとしたり、少しでも元彼との思い出のカケラを見つけると発狂したりと本当に大変だったと思います。お陰様で今では殆ど無くなりました。

今の恋人と付き合って思うのは、自分を大切にしてくれない人と過ごす時間ほど無駄なものは無い、という事です。必死で一緒にいる理由や、好きでいる理由を探していた頃が勿体なかったと思えるようになりました。また、自分本意で過ごして良いと言うことにも気が付きました。嫌な事は嫌だし、無理なものは無理。自分を卑下して「こんな私と一緒にいてくれてる」と思わない事も大切だと思いました。数年前の僕からしたら想像も付かないような思考回路になりました。

あの頃は自分はもう変われないし、変わらないと思っていたけれど、自然と変われました。キミはどうですか?何か変化はありましたか?

 

このお手紙を読んでくれているか分からないけれど、見ているかもしれないと思い書きました。別にTwitterに復活しなくて良い、またご飯や電話も出来なくて良い。ただ私の人生を見守っていて欲しい。

まぁ欲を言えば、また品川でカネちゃんとお酒飲んだり、新谷会したり、夜中のアイス会?夜のお散歩会?参加したりしたい。キミは最低な事をしたかもしれないけど、無責任だけどそんな事わたしにはどうでも良くて。ここまで想っている人がいる事は忘れないでね。

 

近況報告は終わりです。

また、いつか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゅういちがつ

 

あっという間にじゅういちがつが終わって、12月になろうとしている。もうすぐで一人暮らしを始めて1年経っちゃうんだ。20代はあっという間って言ってた、いつかの30代の方々は真実を話してくれていたんだね。

 

お仕事、1年経った。「頑張らない」で入ったけど、結局頑張ってる。頑張ることが好きだし、やっぱり生きてていい絶対的な安心感と肯定が欲しい。世界から淘汰されたくない。

 

前のお仕事と今のお仕事での圧倒的な違いは、一人で頑張るか、皆んなで頑張るか、だ。うまくスケジュールを組めば急に休んでも大丈夫だし、シフトも変更できるし、定時で帰れる。性に合ってるかもしれない。接客も大好きだしうまくやれてると思う。いや、どうかな。

 

人間関係がかなり苦手になった。恐らく年功序列感が強いからだと思う。私は後輩面するのがとても苦手だし、自分で色々処理したい。伊達に社会人4年やってきてないから、自分のキャパくらい解ってるし、ミスしたときの対処法や学び方、「仕事」に関してのノウハウくらいあるのに、「くずまるは言えないタイプだから」って決めつけられるのも馬鹿にされてるみたいで腹立つ。仕事に慣れてるか、慣れてないかだけでお前らと同じ年数やればお前らの事抜かすし、抜いてやるからなって闘争心が凄い。根本的に負けず嫌いなんだろうね。

 

最近人生の価値観みたいなのが変わってきたなと言う事が増えた。過度に人に気を遣わなくなったからかな。喋りたくない人とは極力喋らないし、蔑ろにされているのに私だけ「関わってくれてるから...」で優しくしたりなんかしてあげなくなった。酷いことをされたら「嫌い」だし、蔑ろにするのであればそれ相応の対応しかしない。そんな自分を許せるようになった。

 

お兄ちゃんが死んで、その事に対して何故自分が生き抜いてしまっているのだろう、死ななきゃ、幸せにならないようにしなきゃ、辛くないとって言う気持ちが薄まった。恨まれてるとしても、幸せになって笑ってる事で許してもらえると思った、恨まれてなかったら、きっと笑ってない事を逆に怒られるのだと思った。お兄ちゃんとの唯一の思い出で、橋を手を繋いで渡ってくれたから、前者ではなく後者で居てくれてるのだろうな、そうだといい。そう思いたい。いや、きっとそうだ。

 

想像以上に色んな人に助けられている。それもこれも変わりたいと思った自分のおかげ。なんてね。うそうそ。

 

まだまだメンヘラも突発的な鬱みたいなのも辞められないけど、ましになったな。昔に比べたら雲泥の差がある。

 

家族の苦い思い出とかも思い出しては苦しくなるけど、それと同時に幸福だった時間も思い出すようになった。それなりに笑って過ごしていた気がする。お父ちゃんの言う通り、ただの私の「思い違い」だったのかもしれん。と、今の気持ちだと思えるけど、やっぱりあの辛かった気持ちも、傷付いた言葉達も大切に残ってしまっているから、情緒がダメな時思い出しては落ち込むのだろうな。

 

それもまた人生か。

 

今死んでもいいって思いながら生きてきたけど、無理だな。まだまだやりたい事たくさんある。結婚したいし、子供もほしいし、色んな美しい世界をみたい。あ、そう言えばなんやかんや彼氏出来たよ。3ヶ月くらい前からで、付き合ってからずっと一緒に住んでるけど一人の時間欲しいとか思わない。毎日楽しい。前向きになれているのは彼の力が大きい。大きすぎる。ここまで読んでる人、少ないだろうな。内緒だよ笑

 

絶対幸せになろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世の中紙一重

 

我輩は腐女子である。堂々とは出来ない。

 

私は腐女子って純粋に気持ち悪いと思っている。いや、客観的に見ての話で、別に性癖だし個人の趣味嗜好だし言うたら、熟女モノとか近親相姦とかロリ好きですなんて言ってるようなのとなんら変わりがない。健全ちゃあ健全である。でもそれは両脚突っ込んでるくらいの人が言えることであって、頭までどっぷり浸かっている人は一般的にはマイノリティなのかなって思う。

 

上記の言い方だと語弊があるな。あくまで腐女子全員が気持ち悪いって言っているのではなく、戻れないところまで来てしまった人が「腐女子」を堂々と名乗っているのが気持ち悪いと思うってことが伝えたい。そんなことないって思う人もいると思うけど、深く知りたい人は個人的に私に聞きに来て欲しい。気持ち悪いって思うよ。思わなくても否定はしないけど肯定もしないって感じになるんじゃないかな。

 

だから腐女子を堂々と公言している人はぶっ飛んでるか、まだそこまでこちらの世界に踏み入れてないかのどちらかなのかなって思う。

 

腐女子だけじゃなくてオタクも一線越えるとたしかに気持ち悪い。大多数の人間がオタクを「気持ち悪い」って言う理由も何となくわかる。好きなことを語るときに興奮して早口になるのも、はぁはぁするのもちょっと気持ち悪い。でも好きなことを突き詰めて、目を輝かせながら語れるモノがあることに私は畏敬の念を

抱く。別に早口になろうが興奮してはぁはぁしようが好きなことを好きなだけ語っている姿は美しいとさえ感じるよ。デブは人権ないから論外だけど。

 

人生の中で自分がこれなら他の人に負けないくらい好きとか、語れるとかそう言うのある純粋にの凄くない??

前の会社で交友と仕事の話をする為に結構色んな人たちとサシで飲みに行ったりしたけど、正味何も趣味ない人、語れない人多かった。好きだけど別にそこまで追求してないみたいな。

一番驚いたのは「小説読むのが趣味」って言ってた人に小説の話をしたら全然知らなくて話が全く盛り上がらなかったこと。別に趣味の定義は人それぞれ違うから仕方ないんだけどさ。私の定義に当てはまらなかったから、全然美しくなかったし、尊敬もできなかった。

 

世の中さ、気持ち悪いと凄いは紙一重であるように、SとMも紙一重だし、優しさと残酷さも喜びと悲しみも生と死も全部紙一重紙一重の正しい言葉の意味知ってる?「紙一枚の厚さほどの、僅かな違い」なんだって。簡単に言えば表と裏で、ほぼ違いなんてないんじゃない。だからこそ人の気持ちを大切にしたいね。どうして裏じゃなくて表を選んで、逆に表ではなく裏を選んで、表になってしまって、裏になってしまったのか。

 

考えたらキリないし、ただ自分が病むだけなんだけど、だから全員が表としてることをそのまま素直に受け止められればそれで十分だったりして。付随して、何が正しいとかも自分で決めればいいよ。本当の自分が分からないとかも、皆んなから見てくれている自分が本当の自分だし、別に他の自分がいようがいまいが、どっちも自分でそれを知ってるのも全部自分なんだから、それでいい。深く考える必要はないし、引っくるめて受け止めればいい。

ってこれは昔から自分に言い聞かせてる言葉である。案外というか、私は幼い頃に土台をしっかり作らなかったからとても脆い。脆いから自己暗示して補強していかないと根っこから倒れる。それが所謂メンヘラってやつで、今後もうまく付き合ってイコーゼyeahってそいつと肩組んでやってきた。

 

話の執着地点がちょっと分からなくなったと思うんだけど、私的には今後も優しい人間でありたいってところに帰着している。優しい人間であるから、世界も私に優しくしてほしい。なんてね。

おやすみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あっという間

 

全てがあっという間に過ぎていく。仕事もそうだし、遊びだって1日があっという間だ。よく漫画や小説なんかで「人生は瞬きのようなもの」なんて表現される時があるけれども、それがようやく体現されてきた気がする。少し怖いね。

 

前のお仕事を辞めた時に「もう頑張らない」なんて心に誓っていたのだけれど、結局精一杯頑張ってしまっている。頑張っていると言うより、負けたくないしプライドが高くて何も言われたくないから、自己防衛というか、自己満足で勉強していると言う感じかもしれない。社会から否定されたくないし淘汰されたくない。その気持ちがとても、とても強い。

 

私がいなければ駄目なんて事がこの世にない事が分かっているので、せめて私がここにいても大丈夫な理由を自分で作りたい。

 

最近気がつくと手を強く握りしめている現象が起こっている。何かに緊張しているのか、不安なのかなんなのか。特に寝る前。ストレスなんて、前に比べたら全然感じていないのに。私は何にストレスを感じていて、何がそんなに不安なのだろう。やっぱりメンヘラはそう簡単には辞められないのだなと実感する。嫌だな。早く辞めたい。早く辞めて、普通に普通に生きたいな。普通ってなんだろうね。皆んなどうやって生きてるの?過去を思い出してどうしようもなくなる夜とか、生きてる事への罪悪感とか、仕事の反省とか、漠然とした不安や寂しさとか、どうやって皆んな処理しているの?

 

生きてるだけで褒められたいね。

 

親に抱きしめられた記憶がなくてさ。そんなの大体皆んなそんなもんって言われたら、まぁそうなんだろうけど。根が甘えん坊な私は沢山抱きしめられたかったなってやっぱり思っちゃう。抱きしめてっていえれば良かったんだろうけどね、私も。素直に甘えたかった。甘えられなかった。

一番上の兄ちゃんが死んだ時に注射嫌がって泣いていた私を叩いて「お兄ちゃんは沢山注射しても我慢してたのに、なんであんたは我慢出来ないの?」って怒鳴られてから、どう甘えればいいのかわからない。もう23年も前の話じゃんウケるね。まだこの話で泣けるから凄い。

 

生きててごめんってめちゃくちゃ思う。薄れてきてたのにな。戻っちゃうな。スポンジかよ頭悪いね。今日1日がとても幸せだった反動かな、落ちてしまう。ずっと幸福な時間が続けばいいのに。今年はよく笑って、幸せな時間を増やしたいと思ってはいるのに。私の願望や欲望とは裏腹に勝手に脳みそがネガティブな方向に持っていって、気分を落ち込ませる。気持ちでは考えないとか、大丈夫とか思っているのに、うまく処理が出来なくてバグる。

 

早く大人になりたいな。もういい年だけど。

 

眠れないから長々と書いてしまった。読んでる人いるのかな。めんどくさい奴でごめんね。ありがとう。Twitterは、もしかしたらリアルの世界より優しい世界かもしれない。いつか卒業したいな。おやすみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空はひろい

 

一人暮らしを始めて2週間ちょいが経ちまして、全ての家電が揃ってそれ以外のキッチン周りやパソコンネット環境が整い本格的に「お家」になった。ただ生命活動を維持する為だけの場所ではなく、しっかりとした人間としての生活を送れる場になった。

やっぱり身体や性に合っているのか体調が良くなった。お酒をしっかり呑みたくなる様になってしまった。体調がずっと悪かったから、呑んだら頭痛くなったり吐いたりしていたんだなと思うと、本気で都内は駄目だったんだなと思う。まぁ、都内なのか、同居なのか、深堀はしないけども。

 

元気になってしまったので、余計なことを考えられる様になってしまった。メンヘラの先輩が「メンヘラはきっと元気じゃないと出来ない」って言っていたことが頷ける。元気だから色々考えられるし、落ち込める。疲れていたらそんなこと考えることすら面倒だもん。みんな知っているだろうけど、私もどっちの立場も知っている。

 

前の好きだった人と駄目になった事が4回あって、うち3回戻ってきた。そのうちの1回で「付き合ったのはたまたまだよ」って言われた事があった。たまたまくずまるがこの店舗に配属になって、たまたまそこに俺がいて、たまたま教育係になっただけじゃん」って。私はそれを聞いた時に、それだけたまたまが続いたら、それは運命と呼んでもいいんじゃないかなって思ってしまった。たまたまこの店舗って言われても、私は配属希望の第1希望から第3希望まで蹴られてそこに配属になったし、元々教育係が違かったのに、色々あって同居人に変わって、それって確率論で言ったらどの位なのだろう?それをたまたまで済ませてしまうんだね。少し悲しかった。少しね。

 

少しっていうのは感覚は人それぞれだから、たまたまと言われたらそれまでという事も理解していたからだ。きっと、私のことを本気で好きであれば出会えたことが運命だってそんな臭いセリフを言えちゃうんだろうなと思う。そんなこと言われたら流石に引くけど。たまたまなんて言われるよりかは、数百倍気分は良いし、心も晴れる。笑い話。

 

最後に駄目になった時は、もうこの人で傷つく資格も私にはないのだと切なくなった。その人が原因で悲しんだら傷つける資格がある事が、そもそも特権なのだと初めて知った。片思いじゃその資格はないもんね。彼女だから悲しめたけど、彼女じゃないから悲しめない。

 

話は嵐の話になるのだけれど、翔くんが「嵐としての将来はどうなるんだという気持ち半面、嵐の想いで人1人の人生を縛る事も出来ないと思った」って言っていて、それは恋人でも友人でも家族でも当てはまるなと思っている。

いくら、家族でも、夫婦でも恋人でも友達でも、その人を縛る資格は恐らく持っていない。1人だけの人生ではないにしても、それでも自分自身だけの人生なのだ。人と人生を歩む事は、それ相応の覚悟と決断と、意気込みが必要で。私はずっと親のために生きてきたから、自分のために生きるという事が難しい。それが重いし面倒臭いんだろうなと思う。もっと自分の為に生きて、自分が幸せになれる様に生きれればいいのにって、自分でも思う。

 

誰かの人生の足枷になることを許してほしい。

私を選んで欲しい。欲しかった。

 

わかってる。私がいても居なくても代わりは死ぬほどいる。結局選んで欲しいというより、私がそこに居たいと思うか思わないかが重要で、存在意義は自分自身で作るもの。他人に見出して貰うものではない。わかってる。

 

大学生の頃に付き合ってた人に「くずまるはいつも俺次第って言うけど、本当はどうしてほしいの?」ってよく聞かれていた。私に運命を委ねるな。ない脳みそ使って考えて、取捨選択して私を選べ。そう言った事もあったけど、理解はしてくれなかったな。

 

おわりおわり。ここまで読んでくれた人がいるのかな。いてくれたら嬉しい。面倒だね、ごめんね。ありがとう。おやすみ。