拝啓

 

お元気でしょうか?私は元気に過ごしております。半年くらい前からTwitterから離れ、もうTwitter依存症とは言えない人生になりました。住む世界がTwitterだけだったけど、リアルにも私の住む場所が出来たようです。喜んでください。

 

キミが居なくなった年、私もストーカーやらなんやらで精神的にも肉体的にも限界が近かった時でした。お互いに大変だったね。いいや、今もまだなお、もしかしたら大変なのかもしれない。そんな大きな事から些細な事まで知る術がなくなってしまって2年が経ちました。早かったような、長かったような、相応だったような。

そんな事よりも、キミが居なくなってからの2年間の話をしよう。まずは仕事。パチンコ店はその年の秋くらいに退社しました。色々な人が止めてくれたし、色々な人が惜しんでくれて、私の存在価値を身を持って実感出来た時間でした。周りは社交辞令や、嘘が入っていたかもしれないけれど、それでも僕はとっても嬉しかったです。それまで自分のやってきた事が正しいのかも分からず走ってきたけど、漸く間違っていなかったと思う事が出来ました。もしかしたら、ストーカーとか無ければ結局辞めずにまだ続けていたかもしれません。

新しい職業は某建築メーカーでインテリア関係をしています。キミの職業は建築関係でしたよね?細かくは知らないけれど、そう言う話もしたかったな。まぁそんな事は置いておいて、そこで私はまた頑張って働いています。もう二度と仕事なんて頑張らないと誓っていたけれど、頑張らない事の方が難しいようで、日々失敗と後悔を重ねながら精進しています。従業員にも恵まれたと思っていて、愚痴は出るけども、とっても良い人達ばかりで転職して良かったと心から思っています。

 

転職して気付いた事が何点かあって、まずは身体が思った以上に弱い事。前の職ではそんな事なかったのにと思っていましたが、動けなくて早退したり、休憩室やカウンター裏で休ませてもらったりとフラフラな状態でやっていたなと自覚しました。次に仕事のモチベーションを人に置いてしまう事。前職踏ん張れていたのはそこが大きかった。認められたい、褒められたい一心で走ってきたけど、今の職はそれがないのでモチベーションの維持が難しです。因みにこれは昨日気がつきました。

 

次に精神。これはずっとずっと安定に不安定をしています。でも前より遥かに落ち込む事は減りました。人生や世界に絶望し、全てを終わらせたいと思う事も殆ど無くなりました。2年前も、言ったら1年前も家のトイレで蹲りながら咽び泣き晴らしていました。何故かそうなるのがトイレの中でした。笑っちゃうね。

キミと出会ったのが19歳の頃で、20歳になったら死ぬと呟いていたけど、結局21歳の誕生日を迎えてしまった時。この年まで生きてしまったと呟いたら「21歳まで生きていてくれてありがとう」とリプをくれた事を僕は忘れません。なんならスクショしてカメラロールの中にまだ残っています。そんな僕も今年の誕生日を迎えると28歳になります。もう死にたい気持ちはありません。癖で「死にたい」と思う事はあっても直に訂正します。もしかしたら、まだ連絡が取れていたとしても、こんな事を言ったら「役目は終わった」とか言ってキミは何処かへ消えていた気もします。

 

話は少し変わるのだけれど、キミが会わせてくれたかわかわガールとは今でも仲良くやっています。会わせてくれてありがとう。こんな年齢になってからでも友達が出来て嬉しかったです。

余談は続いて、Twitterでキミのことを忘れずに覚えていてくれている人は沢山います。キミと出会った年と同じくらいに出会った人達で、未だにTwitterで繋がっていてくれています。あの頃はTwitterが楽しくて仕方なかったね。意味わからないくらい多分皆んな寝てなかったし、心に何かしら抱えていて吐露していた。ような気がする。そんな人達と毎日のように話すのが好きだった。楽しかったね。楽しかったな。

 

話を戻すのだけれど、精神が安定したのは恋人の存在が大きいです。去年の9月頃から付き合い始めた人で、歳下の後輩です。正直、恋人の話をするのは少し恥ずかしいのだけれど、喜んで聞いてくれている所を想像しながら話します。

付き合う前、私がどんなに連絡返さなくても、次の日の朝には「おはよう」って連絡きて、酷い言葉とかも投げてしまい、性格が変わるくらい傷付けてしまった事もあるのだけど「こっちの性格の方が俺は好きだし」ってとっても前向きで。あと行動力が凄かった。行きたいと言った場所にはレンタカーまでして連れてってくれました。ただ連れて行くだけではなく、自分はこれがしたいと主張し、一緒に楽しいを探してくれている所がとても良かったです。

あと何よりなんでも笑ってくれるところが大好きです。くだらない会話でも付き合ってくれますし、ボケた後の突っ込みが私の欲してる突っ込み方で話していて心地が良いです。よくキミが使っていた「脳電波」もお互いに受信しあっている気がします。

初めて両親にも紹介をしました。27歳になって初めて実家に恋人を連れて行きました。お父さんは想像以上にニヤニヤしていて「緊張しなくて良いんだよ」とか言っていて逆に私が緊張しました。

そうだ、少し家族の話をさせてください。2年前に親と喧嘩しました。限界だったのもあり、いつも通りヘラヘラ出来ず号泣しながら「だからこんな家に帰りたくなかったんだよ」と叫んでしまいました。そこから3歳の頃に叩かれた事がトラウマだった事、いい子でいなければという切迫感があった事、鬱だった事など話して両親とも泣かせてしまいました。本来、こんな事は学生の頃にぶつかって話して、だんだん家族の絆が固くなっていくのでしょうけど、私はあまりに遅く、こんな歳になって初めて親に本心を話しました。

その日から私も変わる努力をする様になりました。家族が分からなかったし、憎かったし、一緒にいてしんどいものでしたが、少しづつではありますが「家族」の意味を学んで行っています。

そんな家族に、恋人を紹介したのです。とっても進歩したと思いませんか。その日、兄夫婦、家族でボーリングに行ったのですが泣いてしまうくらい楽しかったです。それもこれも恋人が居てくれたからです。

こんな円満な感じで話していますが、付き合って3ヶ月くらいは私の情緒が不安定過ぎて恋人も大変だったと思います。泣き喚き、引っ掻き、噛み、首を絞めしようとしたり、少しでも元彼との思い出のカケラを見つけると発狂したりと本当に大変だったと思います。お陰様で今では殆ど無くなりました。

今の恋人と付き合って思うのは、自分を大切にしてくれない人と過ごす時間ほど無駄なものは無い、という事です。必死で一緒にいる理由や、好きでいる理由を探していた頃が勿体なかったと思えるようになりました。また、自分本意で過ごして良いと言うことにも気が付きました。嫌な事は嫌だし、無理なものは無理。自分を卑下して「こんな私と一緒にいてくれてる」と思わない事も大切だと思いました。数年前の僕からしたら想像も付かないような思考回路になりました。

あの頃は自分はもう変われないし、変わらないと思っていたけれど、自然と変われました。キミはどうですか?何か変化はありましたか?

 

このお手紙を読んでくれているか分からないけれど、見ているかもしれないと思い書きました。別にTwitterに復活しなくて良い、またご飯や電話も出来なくて良い。ただ私の人生を見守っていて欲しい。

まぁ欲を言えば、また品川でカネちゃんとお酒飲んだり、新谷会したり、夜中のアイス会?夜のお散歩会?参加したりしたい。キミは最低な事をしたかもしれないけど、無責任だけどそんな事わたしにはどうでも良くて。ここまで想っている人がいる事は忘れないでね。

 

近況報告は終わりです。

また、いつか。