眠れない夜のこと

 

久し振りに眠れなくなってしまったので、今まで書きためていた日記を全て消して心機一転を図ろうとしている。こんな日記に興味ない人も、惰性で読んでくれている人も、少しは興味を持ってみてくれている人にも、ちょっとでも何かが伝われば良いな。メッセージ性なんてこれっぽっちも持ち合わせていないんだけどさ。

 

私がこうして、日記を自分の為にだけではなくて書こうと思ったのはTwitter140字では感情やらなんやらを表現しきれなくなってきたからだ。幸か不幸か、それだけ日々目まぐるしく私の心情は移ろいでいる。後は純粋に文字にしたくなっただとか、理由は沢山あるのにこうやって文字にしようとするとうまく書けなくて伝えられなかったりしてさ。もどかしいので練習がてら、的な気分。

 

この世に来てから26年経ってしまった。なんてのを毎日飽きもせず考えている。正味、15位の時から15年...16年...20年生きてしまったと考えている気がするので、11年間ほぼ毎日欠かさずこの世に来てしまった事に対して罪悪感を抱いて生きている。何も続かない私が、唯一続けられている事だ。褒めて欲しい。

どうやったら考えずに済むのだろう。なんて悩みは口にするだけで実際のところは諦めている。多分もうずっと、生き延びる限り毎年、毎月、毎週、毎日、どこかふとした時に考えてしまうのだろうなと思う。別にそれが嫌なわけでもないし。

 

だけど罪悪感は年々少しづつ減ってきている気もするのも確かなのだ。最近では基本的人権も手に入れた気がする。その原因がテレビを見るようになった事が大きいと思う。しばらくネットしかやってこなくてテレビ番組もドラマもニュースも見てこなかったけど、ここ4ヶ月くらいは割とみていた。そしたらなんだか、社会に溶け込めている気がして自分に自信が持てるようになった。世界は目まぐるしく変わっていくし、毎日のように誰かが殺され、死んで、捕まって。昔は観ているのがしんどかったのにいつのまにか他人事のように観られるようになっていた。

 

皆んなこうやって、テレビの中の事は全部他人事なんだと知った。誰が死のうが、捕まろうが、殺されようが自分には関係なくて、そんなものに一々感情移入していたらしんどくて死にたくなるのも頷ける。でも前までの私はそうだった。

いつかの洋次郎が「この眼が二つだけでよかったなぁ 世界の悲しみがすべて見えてしまったら 僕は到底生きていけはしないから うまいことできた世界だ いやになるほど それなのに人はなに血迷ったか わざわざ広いこの世界の至る所に ご丁寧に眼付けて あーだこーだと 僕は僕の悲しみで 精一杯なの」って歌ってたけど、私はその通りだと思って、辛いのはテレビを見るからなのだとテレビから離れていった。2011年だから、8年前くらいか。

 良いか悪いかは別として、やっと上手く生きられるようになってきたのかなと思う。まだまだ下手くそだし、沢山間違えてきたけどさ。

 

恋愛も沢山間違えたけど、一番最後の恋愛は本気で良い恋愛をしたと思っている。めちゃくちゃ成長した。感謝を伝えたい。その代償なのか、好きってなんだろうが更に濃く私の心に根付いてしまった。人を好きって言うのは、その人の為に死ねるものだと思っていて、自分よりも真っ先に相手のことを思いやれるのが好きで愛だと思っているのだけれど、どうやらそう考える人は少ないらしい。そうなると、もう好きが分からない。何が好きなのだろう?好きと言えば喜んでくれると思っているのか、好きと言えばセックス出来ると思っているのか、好きと言えば何を言ってもいいと思っているのか。とか。ぐるぐるぐるぐる。面倒だね、私は。

 

ふと思ったけど、ポエマーなんて言われてしまうのだろうか。どこかで指を刺して笑っている人がいるのだろうか。ウケる。私に伝わってこないから関係ないか。

 

今年一年は充実させたいな。充実させるのは私だ。何事も行動。人生一回ですものね。気の合う友人たちと沢山遊びたい。出来れば素敵な人が出来ますように。

そろそろ眠ろっか。おやすみ。世界と皆んなたち。