そんなこんなでも世界は回る

 

私が死のうと、絶望し今日を恨んでも、何があろうと明日が来てしまう事実は、もうとうの昔に受け入れている。それでも少し抗いたくなるのは、まだ私の中に微かな夢や希望があるという事なのだろうか。

 

一人暮らしはやっぱりいいなと思う。気が楽だ。一人暮らしと同居で一番嫌だったのは、やはり食を考える事だった。なるべく重たいものは食べたくない。量も食べたくない。味が濃いのを食べたくない。間食したくない。甘いものも食べたくない。お菓子を食べたくない。食べたくない。食べたくない。美味しくちゃんとした夜ご飯を殆ど毎日食べようとは思わない。思えない。

そこに合わせようとしなくていい。気を遣わないでほしい。というか、私はもうそういう食があまり好きでない人なんだと理解してほしい。「少しは太りなよ」なんてのは有り難いけど、苦痛でしかない。少しも太りたくない。「細いね、綺麗だね」って言って欲しい。そこくらいしか褒められるところがないから。

 

最近どんどん自分がわがままになっている気がする。あれして欲しい、これして欲しい、関わりたくない、笑いたい。欲求が生まれている。我慢出来なくなった。いろんな事が我慢出来なくなってしまった。関わりたくない人とは関わらないし、嫌いだと思ったら言ってしまうし、そこで失われるであろう信頼や他者評価なんてどうでもよくなった。

 

特に他者評価。もう自分が他人からどう思われてもいいと思うようになった。自分にようやく諦めがついたと言う事なのだろうか。ウケる。嫌われてもいいと思うようになったのも、元々好かれるような性格や容姿でもないと、ようやく気がついたからだろうか。

 

人から拒絶される事が多過ぎて、拒絶される事が前提の人生になってしまっている。そう言う設定になった人間なんて、私以外に沢山いること知ってる。だから別に自分が特別だとも思わないし、なんなら仲間もいるだろうなって励みにしている。勘違いしないで欲しいのだけど、自分に諦めたからって別に人生諦めてるわけではない。あくまで「特別な私」を諦め「凡人である私」を受け入れただけの話だ。

 

今の会社の事はあまり深く書けないけど、やっぱりアリとキリギリス状態はあって、私は懸命に働くアリになってしまう事がわかった。結局、頑張れる事が仕事くらいしかないし、存在意義を見出せる唯一の場所と思っていて、だからせこせこ働いてしまうのかな。

 

そう言えば話しが飛び飛びになるけど、拒絶されてきた人生なんて言ったけど、本当に拒絶していたのは私の方なのかもしれない。だから誰が悪いなんてのはないのだよね。誰も悪く無い。私も悪くない。

 

そろそろ眠くなってきた。

お酒は辞めた。もうのみたいとも思わない。凄いな私。褒めて、たくさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠れない夜のこと

 

久し振りに眠れなくなってしまったので、今まで書きためていた日記を全て消して心機一転を図ろうとしている。こんな日記に興味ない人も、惰性で読んでくれている人も、少しは興味を持ってみてくれている人にも、ちょっとでも何かが伝われば良いな。メッセージ性なんてこれっぽっちも持ち合わせていないんだけどさ。

 

私がこうして、日記を自分の為にだけではなくて書こうと思ったのはTwitter140字では感情やらなんやらを表現しきれなくなってきたからだ。幸か不幸か、それだけ日々目まぐるしく私の心情は移ろいでいる。後は純粋に文字にしたくなっただとか、理由は沢山あるのにこうやって文字にしようとするとうまく書けなくて伝えられなかったりしてさ。もどかしいので練習がてら、的な気分。

 

この世に来てから26年経ってしまった。なんてのを毎日飽きもせず考えている。正味、15位の時から15年...16年...20年生きてしまったと考えている気がするので、11年間ほぼ毎日欠かさずこの世に来てしまった事に対して罪悪感を抱いて生きている。何も続かない私が、唯一続けられている事だ。褒めて欲しい。

どうやったら考えずに済むのだろう。なんて悩みは口にするだけで実際のところは諦めている。多分もうずっと、生き延びる限り毎年、毎月、毎週、毎日、どこかふとした時に考えてしまうのだろうなと思う。別にそれが嫌なわけでもないし。

 

だけど罪悪感は年々少しづつ減ってきている気もするのも確かなのだ。最近では基本的人権も手に入れた気がする。その原因がテレビを見るようになった事が大きいと思う。しばらくネットしかやってこなくてテレビ番組もドラマもニュースも見てこなかったけど、ここ4ヶ月くらいは割とみていた。そしたらなんだか、社会に溶け込めている気がして自分に自信が持てるようになった。世界は目まぐるしく変わっていくし、毎日のように誰かが殺され、死んで、捕まって。昔は観ているのがしんどかったのにいつのまにか他人事のように観られるようになっていた。

 

皆んなこうやって、テレビの中の事は全部他人事なんだと知った。誰が死のうが、捕まろうが、殺されようが自分には関係なくて、そんなものに一々感情移入していたらしんどくて死にたくなるのも頷ける。でも前までの私はそうだった。

いつかの洋次郎が「この眼が二つだけでよかったなぁ 世界の悲しみがすべて見えてしまったら 僕は到底生きていけはしないから うまいことできた世界だ いやになるほど それなのに人はなに血迷ったか わざわざ広いこの世界の至る所に ご丁寧に眼付けて あーだこーだと 僕は僕の悲しみで 精一杯なの」って歌ってたけど、私はその通りだと思って、辛いのはテレビを見るからなのだとテレビから離れていった。2011年だから、8年前くらいか。

 良いか悪いかは別として、やっと上手く生きられるようになってきたのかなと思う。まだまだ下手くそだし、沢山間違えてきたけどさ。

 

恋愛も沢山間違えたけど、一番最後の恋愛は本気で良い恋愛をしたと思っている。めちゃくちゃ成長した。感謝を伝えたい。その代償なのか、好きってなんだろうが更に濃く私の心に根付いてしまった。人を好きって言うのは、その人の為に死ねるものだと思っていて、自分よりも真っ先に相手のことを思いやれるのが好きで愛だと思っているのだけれど、どうやらそう考える人は少ないらしい。そうなると、もう好きが分からない。何が好きなのだろう?好きと言えば喜んでくれると思っているのか、好きと言えばセックス出来ると思っているのか、好きと言えば何を言ってもいいと思っているのか。とか。ぐるぐるぐるぐる。面倒だね、私は。

 

ふと思ったけど、ポエマーなんて言われてしまうのだろうか。どこかで指を刺して笑っている人がいるのだろうか。ウケる。私に伝わってこないから関係ないか。

 

今年一年は充実させたいな。充実させるのは私だ。何事も行動。人生一回ですものね。気の合う友人たちと沢山遊びたい。出来れば素敵な人が出来ますように。

そろそろ眠ろっか。おやすみ。世界と皆んなたち。